全然更新してなくて申し訳ない。
ブログ記事にするような話題がなかったというか、私は読書感想文が昔から苦手です。
なので、今回は適当に喋ります。
中世のローマ教皇選挙の候補者リストが載っているサイトを発見したので、ちょっと調べてみました。
コンティ家の人がうじゃうじゃ出てくるんですが、皆「おい」「いとこ」などなどややこしい事この上ないです。
で、個人的に興味深かったのは各教皇が一代前の教皇選挙に候補として挙がっているという事です。
1191年3月25(?)~30日のケレスティヌス3世が選出された選挙において、後のインノケンティウス3世であるロタリオも参加(?)しているのですね。
他にも
1198年1月8日のインケン3選出の選挙には後のホノリウス3世であるチェンツィオが、
1216年7月16日-18日のホノリ3選出の選挙には後のウゴリーノが、
それぞれ参加というか候補者の名前として挙がっているのです。
これって普通の事だったのでしょうか?
前々から経験や能力があってって人ならまあ分かるんですけど、インケン3は1191年って30歳なんですよね。彼は1187年の終わりに副助祭になって、この時には1190年に助祭枢機卿にはなってるんですけど、位階は枢機卿団の中でも一番下なのです。
インケン3選出の選挙の時(満場一致で選出なので一日で決まった模様)、ホノリはカメルレンゴ辞めて、フリ2の家庭教師だったのかな。
ホノリ3選出時はウゴリーノさんはオスティア司教とかだったかなー。
聖職者の位階に詳しくないので如何せん分かりませんね^^;
もっともっと調べてみようと思います。
ちなみに、私が勘違いしていた事なんですけど、司教と枢機卿って兼任(?)出来るのですね。
というか枢機卿の多くは助祭枢機卿であろうが司祭枢機卿であろうが、司教である事が多いようです(これは現代の事で中世には当てはまらないかも知れないですが)
ローマ教皇事典だとインケン3は教皇選出の後に司教に叙階されているので、私はてっきり枢機卿の方が偉いとか思ってたんですけど、単なる縦のラインじゃないのかなぁって思いました。
話題がとっちらかってごめんぬ!
今日はここまで。