忍者ブログ

Der Kasten

世界史料理とか人物についてとか色々格納倉庫。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ご案内。


このブログはど素人による歴史を楽しむ為のブログです。
学術的調査に基づくものではなく、自由に書き散らしているのでご注意下さい。
翻訳に関しても学者ではない素人個人のものなので、間違っている可能性が大です。

実在の人物を誹謗・中傷する意図はございません。

以上の事を踏まえてご覧く下さい!


リンクフリーに甘えて、リンクを貼らせていただきました。
ちなみに当ブログはリンク・アンリンクフリーです。
貼るなり剥がすなりご自由にどうぞ!




知っておくと、なんとなく便利な気がする頻出単語。
  • ケン様・インケン3:第176代ローマ教皇インノケンティウス3世のこと。ちなみにこのブログで「インケン」「インノケンティウス」と何世か書かれず出てきた場合、基本的にこの人の事と思って良い。
  • フリ2:神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世のこと。何世か無記名だったり称号なしに出て来た場合、基本的に(略)
  • ルイたん・サンルイ:カペー朝第9代国王・ルイ9世の事。実は登場するかまだ未定だったりするけれども。

拍手

PR

レオポルト一世について(途中まで)


更新なさすぎるんで、ここは本格的に倉庫化しようと思う今日この頃。

それはさておき、ハプスブルク家のレオポルト一世の記事和訳です。
ADBの和訳です。
余談ですが、一部地域(地域て)で彼の称号が「荘厳公」と私の訳が出回ってしまった恐ろしい事実があります。
辞書に載っていない単語なもので、私が類推しただけで、非常に不正確かつ、恐らく単語に忠実でない称号だと思います。
レオが有名になった暁にはこの赤っ恥訳を誰かが訂正してくれる事を切に祈っていますが、今のところそんな見込みがほぼないのが悲しいところです。

拍手

宿題返答ー


出されていた宿題の和訳を一時的にここに載せます。
知らない人が見ても多分、状況がわからず混乱すると思うので、気をつけて下さい。
なお諸事情により、載せられているドイツ語はウムラウトが飛び、一部文欠けています。
余計混乱すると思うので気をつけて下さい。

拍手

ご無沙汰です。

寒中お見舞い申し上げます。
ふざけてんのかって更新率で申し訳ないです。いつの間にかクリスマスも過ぎ、年も明けてしまいました。
でも手ブロでは12月26日のフリードリヒ2世誕生日祝い&1月8日インノケンティウス3世教皇就任祝いをきちんとしたので、まあ良いかと自分を甘やかしておきます(思いっきり日にち的には過ぎたけれども)

ところで相変わらず私はインノケンティウス3世が載ってそうな本ばかりを漁っているんですが、ついにアッシジのフランチェスコの本も買いました。
ベラルド・ロッシの『聖フランシスコとその時代』という本です。
字も大きく、あっさりめなので読みやすく、個人的にホノリウス3世の記述が多くて大変ありがたい本です。綺麗なグレゴリウス9世も拝めます。

さて、前回に引き続きコンクラーヴェの話をしようと思います。
現在では選挙=投票というイメージの強いコンクラーヴェですが、かつては「枢機卿たちが一斉に新教皇に推す人物の名前を発声して、満場一致だった場合決定」という方法もありました。
インノケンティウス3世の説明で「満場一致で」と云う文が添えられていたりするので、恐らくこの方法で決まったものと思われます。
それでは、この声が一致しなかったら?
その場合は枢機卿団の中から代表者が選び出され選出を主導してもらう事になるそうです。
海外サイトを調べていて知ったのですが、ホノリウス3世はこの方法で決められたようなのです。
選んだ代表者は二人。
後のグレゴリウス9世となるウゴリーノ・ディ・コンティとグイド・パパレスキ(インノケンティウス2世の親戚)です。この二人が一致してツェンツィオ・サヴェッリを選んだ為に、ホノリウス3世は生まれたのです。
彼は、ジャック・ド・ヴィトリの書簡によると貧しい人々に財産のほとんどを寄付してしまうような人だったようで、このような人物をインケン3の後任に据えるとは、対比を狙っているとしか思えませんね。
でも、単なる人の良いおじいちゃんじゃないんだろうなって思います。

では今日はこの辺で。
余談ですが、私はいつもヴィトリの書簡でインケン3死亡時の記述を見るにつけ、遺体を「見つけた」という表現が用いられていて泣きそうです。はい。

拍手

教皇選挙あれこれ


全然更新してなくて申し訳ない。
ブログ記事にするような話題がなかったというか、私は読書感想文が昔から苦手です。
なので、今回は適当に喋ります。

中世のローマ教皇選挙の候補者リストが載っているサイトを発見したので、ちょっと調べてみました。
コンティ家の人がうじゃうじゃ出てくるんですが、皆「おい」「いとこ」などなどややこしい事この上ないです。

で、個人的に興味深かったのは各教皇が一代前の教皇選挙に候補として挙がっているという事です。
1191年3月25(?)~30日のケレスティヌス3世が選出された選挙において、後のインノケンティウス3世であるロタリオも参加(?)しているのですね。
他にも
1198年1月8日のインケン3選出の選挙には後のホノリウス3世であるチェンツィオが、
1216年7月16日-18日のホノリ3選出の選挙には後のウゴリーノが、
それぞれ参加というか候補者の名前として挙がっているのです。

これって普通の事だったのでしょうか?
前々から経験や能力があってって人ならまあ分かるんですけど、インケン3は1191年って30歳なんですよね。彼は1187年の終わりに副助祭になって、この時には1190年に助祭枢機卿にはなってるんですけど、位階は枢機卿団の中でも一番下なのです。
インケン3選出の選挙の時(満場一致で選出なので一日で決まった模様)、ホノリはカメルレンゴ辞めて、フリ2の家庭教師だったのかな。
ホノリ3選出時はウゴリーノさんはオスティア司教とかだったかなー。
聖職者の位階に詳しくないので如何せん分かりませんね^^;
もっともっと調べてみようと思います。

ちなみに、私が勘違いしていた事なんですけど、司教と枢機卿って兼任(?)出来るのですね。
というか枢機卿の多くは助祭枢機卿であろうが司祭枢機卿であろうが、司教である事が多いようです(これは現代の事で中世には当てはまらないかも知れないですが)
ローマ教皇事典だとインケン3は教皇選出の後に司教に叙階されているので、私はてっきり枢機卿の方が偉いとか思ってたんですけど、単なる縦のラインじゃないのかなぁって思いました。

話題がとっちらかってごめんぬ!
今日はここまで。

拍手

カレンダー

04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

プロフィール

HN:
号令点呼
性別:
非公開
自己紹介:
歴史関連の事をだらだら呟いてますよ。

メルフォ

連絡取りたい方はどうぞ。無記名でも大丈夫です。
Powered by NINJA TOOLS

最新コメント

バーコード

ブログ内検索

Copyright © Der Kasten : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]