
突然の依頼により作成が開始されたケン様ことインノケンティウス3世の実家であるコンティ家の家系図を作成しております。
現在ごくごく周辺部分しか出来ていないので、暇を見つけて範囲を広げていこうと思っております。
ちなみにカタカナ名は私が勝手に読みをつけてしまったので、くれぐれも発音を本気にしないで下さい!
この家系図で特筆すべきは、まずインノケンティウス3世とグレゴリウス9世の関係です。恐らく様々な書物で二人は「おじと甥」という風に説明がなされてきたと思うのですが、実は「従叔父(いとこおじ)と従甥(いとこおい)」の関係なのですね。翻訳の関係で誤解が生じたと思われます。
この事は複数の家系図でも共通なので、二人が「おじと甥」ではない確率は高そうです。
またグレゴリウス9世は生年がはっきりしておらず、各国のウィキペディアで揺らぎが生じています。生年によっては従叔父であるインノケンティウス3世より年上になってしまうという(笑
なので兄弟のフィリポが弟なのか兄なのか定かではありません。
以下はコンティ家のドイツ版ウィキペディアの翻訳です。超直訳ですが、参考にまでどうぞ。
コンティ家は主要なローマの貴族で、取り分け13世紀に重要や役割を果たした。
この家からは全部で四人の教皇が輩出されている。
最初の重要人物はアナーニの伯爵であるトラジムンド・コンティであり、彼は一族と協力してローマに屋敷を建てた。
今日でもトッレ・ディ・コンティがその名残として見られる。
彼の息子ロターリオは1198年教皇インノケンティウス三世として選出された。
インノケンティウスは自分の兄弟であるリカルドに対してヴァルモントーネとポーリの支配権を授けた。
リカルドの息子であるパウロとジョヴァンニによって二つの分家が始まった。
ヴァルモントーネ伯家は16世紀ごろに滅びた。
1575年ファルビア・コンティがマリオ・スフォルツァと結婚する事により、彼女の支配権はスフォルツァ家へと委ねられる事となった。
ポーリ伯爵家は1808年までポーリを支配した。
18世紀、この家からインノケンティウス13世(ミケランジェロ・コンティ・ディ・ポーリ)が教皇に就任している。
*補足ですがポーリの記事によると、コンティ家の支配は1200年から1808年まで。
ちなみにローマのコロッセオ近くにはトッレ・ディ・コンティという建物がありまして、これはインケン3が弟のリカルドに建てさせたもので、コンティ家の人々が住んでいたようです。
↓ご覧になりたい方はどうぞ(独版ウィキペディアに飛びます)
de.wikipedia.org/wiki/Torre_dei_Conti
また、ポーリにもパラッツォ・バロナーレ・コンティという建物がありまして、これはいつ頃、誰によって建てられたか確認出来なかったのですが、ミケランジェロ・コンティ(恐らくインノケンティウス13世)が亡くなってからは人手に渡ったようです。
この建物には記事がなかったので、「palazzo」「conti」「poli」あたりでグーグル画像検索すると出てくるのがそれっぽいです。

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