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Der Kasten

世界史料理とか人物についてとか色々格納倉庫。

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ハプス家のルドルフ1世について

素敵な依頼により、ハプスブルク家のルドルフ1世について、独版ウィキペディアの記事を一部訳してみました。
でも自信ないからあまり本気にしないでね!

現在1240~1261年まで!
訳が出来たら、随時追加していきます。
あと初期ハプス家に私が詳しくないので、何かご指摘ありましたらどうぞ!



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聖フランチェスコとケン様


先に言っておくがこのブログは気まぐれ更新です!
早速記事が途絶えた所がもう語る話のストックが余りない証拠だよ!

今日は取り留めもなくアッシジの聖フランチェスコとインケンの話をします。
正直フランチェスコ関連の本に出てきたケン様は基本的に良い人そうで、ギャップがある感じで面白いです。

ジュリアン・グリーンの『アッシジのフランチェスコ』で、「修道会設立認めてちょ」とフランチェスコがインケンに会いにやってきた時のやり取りが個人的に面白かったので載せておきますw


清貧をモットーとするフランチェスコはインケンに謁見した時酷く薄汚れた粗末な格好をしていました。
その姿を見兼ねたインケンは彼に対して言います。
「豚の番に行きなさい。豚と一緒に堆肥の中にでも転がって、会則は豚にあげてしまいなさい」
(インケンの発言が酷過ぎて、この時点で私は笑ってしまった。)
しかしフランチェスコの凄いところはこれを実行してしまうところです。
体良く追い払われた事を知ってか知らずか、フランチェスコは実際に豚の小屋へ行き、今度は泥や堆肥にまみれた姿でインケンに謁見しにきたのです。
周囲の聖職者の冷めた態度とは対照的に、インケンはその素朴な言葉に心を動かされていました。

この後、夢の中におけるインケンとフランチェスコの会話が繰り広げられるのですが、「お金なしで、どう生きていくつもりなの?」と現実的な疑問を呈するインケンに対して「イエス様にお任せしてます^^」と爽やかに答える二人の微妙に噛み合ってないような会話が素敵でした。
結局「永遠の王(=キリスト)の息子は飢えない!」というフランチェスコの言葉に納得し(納得するんかい)、ケン様は口頭ながら布教の認可を与えたのでした。


まあ他の本には「清貧を尊ぶ辺りが初期ワルド派(異端認定済)に似ていてどう転ぶか分からないから、実験的に口頭で認可を与えるのみに留めた」みたいな事が書かれてますけどね。
人々に崇敬されていたフランチェスコは、権威が低下していた当時の教会的には利用価値の高い人だったようなので、押さえておきたかったのかも知れません。


素朴な言葉に心を動かされたインケンも面白いのですが、個人的に、常識人のケン様が色々突き抜けてるフランチェスコに振りまわされているイメージを受信しました、まる!

あとケン様が死んだ時にフランチェスコがいたって説があるんですが(ガタッ
『アッシジの~』では否定されていました。
何故なら、「フランチェスコがその場にもしいたなら、恩人である教皇の棺に寄り添っていたはずで、賊の狼藉を許す訳がない」という趣旨の文に、「フランチェスコどうしていてくれなかったのぉぉぉぉぉ!!」と私は叫びました!

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カイザー・シュマーレンのはなし

Kaiserschmarrn.jpg さて、料理についても載せると言い切ってしまったので、以前作ったカイザーシュマーレンについて書こうと思います。
 この料理は「Kaiserschmarren」と書き、「カイザー」は勿論"皇帝"、「シュマーレン」は"つまらないもの"だとか"寄せ集め"だとか訳されています。

 材料は  薄力粉、卵、砂糖、ミルク、塩
 飾りや香り付けに  粉砂糖、バター、ラム酒、プラムのコンポート、レーズン
 と、詳しい事は割愛しますが中々お手軽です。
 メレンゲをしっかりたてればフワフワになるので、柔らかなパンケーキと云ったところでしょうか。
 元々は飾りも何もない、「シュマーレン」という名のオーバー・エスターライヒ州辺りの田舎料理だったとか。

 このお菓子の名前の由来は諸説あるそうですが、ウィキペディアに載っているものは余り良い逸話ではありませんね(;´▽`。
 私はフランツ・ヨーゼフに対する世の評価は知らないのですが、別の逸話のお陰で何とはなしに彼には良い印象を持ったので、そっちを紹介しようと思います。


 ある日、レオポルトという名の宮廷料理人が皇妃エリザベート(シシィ)の為に、「シュマーレン」を作りました。
 美容にこだわり過ぎては偏った食生活をしていたシシィは歯が悪く、レオポルトはそんな彼女の為に柔らかい料理をと、レーズンやプラムのコンポートを添えて出したのです。
 しかし、彼女は何が気に入らなかったのか、一口も食べようとはしませんでした。
 これを見たフランツ・ヨーゼフはレオポルトを気遣い、シシィが食べなかったシュマーレンを一皿残らず食べると、料理の名前を「カイザー・シュマーレン」にしてはどうかと提案したそうです。


 美容にこだわるシシィ(ダイエットの先駆けだと言われていますね)の食生活はかなり偏っており、1870年には骨粗鬆症にもなっていたようです。
 骨粗鬆症になると歯周病になる可能性が上がり、歯が弱くなります。この逸話の時期は分かりませんが、シシィは実際歯が弱かったようです。(個人的にはシシィの個性的すぎる食生活の事も色々調べてみたくなりました)
 また、彼女がシュマーレンを食べなかった理由も諸説あるようで、ウィキペディアでは栄養が豊富過ぎるから(カロリーが高すぎるから?)、『ハプスブルク家のお菓子』には見た目が余りエレガントじゃなかったからかも知れないと書かれていました。
 写真の通り、一度焼いたパンケーキをフォークなどで崩すのでまあ確かに見た目は余り良くないかも知れませんね。
 甘いもの好きのシシィはもしかしたらダイエット中だったのかも、とか私は勝手に考えてました。
 シシィに気に入られていたなら、この料理は「カイゼリン(皇妃の事)・シュマーレン」と名づけられるはずだったのすが、フランツ・ヨーゼフに気に入られた事で「カイザー・シュマーレン」という名前になったのでした、という話。

 作って食べても美味しいし、面白い逸話のある料理のお話でした。
 メレンゲをたてるのが苦にならない方は是非作って観て下さい(*^▽^)v
 コンポートが用意出来ない場合は、個人的にはベリーソースやリンゴのソースなどをかけて味にメリハリをつけるのがお勧めです。

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コンティ家についてのあれこれ

conti.gif 突然の依頼により作成が開始されたケン様ことインノケンティウス3世の実家であるコンティ家の家系図を作成しております。
 現在ごくごく周辺部分しか出来ていないので、暇を見つけて範囲を広げていこうと思っております。
 ちなみにカタカナ名は私が勝手に読みをつけてしまったので、くれぐれも発音を本気にしないで下さい!
 
 この家系図で特筆すべきは、まずインノケンティウス3世とグレゴリウス9世の関係です。恐らく様々な書物で二人は「おじと甥」という風に説明がなされてきたと思うのですが、実は「従叔父(いとこおじ)と従甥(いとこおい)」の関係なのですね。翻訳の関係で誤解が生じたと思われます。
 この事は複数の家系図でも共通なので、二人が「おじと甥」ではない確率は高そうです。

 またグレゴリウス9世は生年がはっきりしておらず、各国のウィキペディアで揺らぎが生じています。生年によっては従叔父であるインノケンティウス3世より年上になってしまうという(笑
 なので兄弟のフィリポが弟なのか兄なのか定かではありません。


 以下はコンティ家のドイツ版ウィキペディアの翻訳です。超直訳ですが、参考にまでどうぞ。

 コンティ家は主要なローマの貴族で、取り分け13世紀に重要や役割を果たした。
この家からは全部で四人の教皇が輩出されている。

 最初の重要人物はアナーニの伯爵であるトラジムンド・コンティであり、彼は一族と協力してローマに屋敷を建てた。
 今日でもトッレ・ディ・コンティがその名残として見られる。
 彼の息子ロターリオは1198年教皇インノケンティウス三世として選出された。
 インノケンティウスは自分の兄弟であるリカルドに対してヴァルモントーネとポーリの支配権を授けた。

 リカルドの息子であるパウロとジョヴァンニによって二つの分家が始まった。
 ヴァルモントーネ伯家は16世紀ごろに滅びた。
 1575年ファルビア・コンティがマリオ・スフォルツァと結婚する事により、彼女の支配権はスフォルツァ家へと委ねられる事となった。

 ポーリ伯爵家は1808年までポーリを支配した。
 18世紀、この家からインノケンティウス13世(ミケランジェロ・コンティ・ディ・ポーリ)が教皇に就任している。


 *補足ですがポーリの記事によると、コンティ家の支配は1200年から1808年まで。

 ちなみにローマのコロッセオ近くにはトッレ・ディ・コンティという建物がありまして、これはインケン3が弟のリカルドに建てさせたもので、コンティ家の人々が住んでいたようです。

↓ご覧になりたい方はどうぞ(独版ウィキペディアに飛びます)
de.wikipedia.org/wiki/Torre_dei_Conti

 また、ポーリにもパラッツォ・バロナーレ・コンティという建物がありまして、これはいつ頃、誰によって建てられたか確認出来なかったのですが、ミケランジェロ・コンティ(恐らくインノケンティウス13世)が亡くなってからは人手に渡ったようです。
 この建物には記事がなかったので、「palazzo」「conti」「poli」あたりでグーグル画像検索すると出てくるのがそれっぽいです。

 

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