今日はケン様ことインノケンティウス3世の命日なので、少しその死にまつわるお話をしようと思います。
インノケンティウス3世は1216年7月16日にペルージャで亡くなりました。彼はペルージャの大聖堂に埋葬されていましたが1891年、彼を模範とするレオ13世によってサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂に移されました。
彼の死因は正直言って良く分かりません^^;;
ジュリアン・グリーンの『アッシジの聖フランチェスコ』(以下『聖フランチェスコ』)には脳血栓で亡くなったという記述がありますが、小長谷正明著『ローマ教皇検死録』にはマラリア、もしくは熱病のページであげられていました(断定はされていないので微妙な線?)
彼が死んだ時の様子を、アッカの司教に叙階されたばかりのジャック・ド・ヴィトリが記しています(私はこの人の書いた文献を探しているのですが、悲しい事に未だに見つかりません;▽;)
とにかく暑い日の事だったようで、その所為で事もあろうに教皇様の棺を守る人は誰もいませんでした。
翌日、聖職者たちがその棺に近づくと、暑さの余りに腐乱して悪臭を放つインノケンティウスの遺体があり、きらびやかな冠や笏、装束は盗賊によって全て剥ぎ取られてしまっていたそうです。
キアーラ・フルゴーニの『アッシジのフランチェスコ』にはフランチェスコがその場に居合わせてインノケンティウスの無残な遺体を見たとあるのですが(『聖フランチェスコ』から判断するに、13世紀イギリスのフランチェスコ会士、エクレストンのトマスさんが主張しているとの事)、信憑性の程はわかりません。
それはありそうにない事だとする、ジュリアン・グリーンいわく『(フランチェスコがペルージャにいたなら)恩人である人の遺体を、必ず夜通し見守ったに違いない』と。
正直個人的には私もフランチェスコさんにケン様の遺体を見守っていて欲しかったです。見守っていて欲しかったです!
今日の記事はここまで!
明日か明後日には『ローマ教皇検死録』にあった気になる話について書ければと思います。

PR